2005年 05月 07日 ( 1 )


2005年 05月 07日

競争を否定されることに対する違和感

内田氏の希望格差社会というエントリーに対する荒井氏の反論に対するちょっとした疑問。

まず、snusmumrik氏が荒井氏の反論に対して以下の疑問を投げかけている。

対して、荒井さんも結論部分では「競争社会=システム」に対して戦う、という宣言をしていらっしゃる。その結果、自分も「競争を降りる=強者たり得ない」だろうとしている。山田氏や内田氏と言っていることは同じように思うのだが、何が違っているのだろう。


これに対する荒井氏の反論は
例えば好きな女がいて、なんらかの理由でその女を諦めなければならないという状態と、他に気になる女ができたために今まで好きだった女に無関心になってしまう状態、との間と同じぐらいの差があると思う。


さらに荒井氏はこのように述べている。
私が考える前向きな提言とは、このように危険ではあるが、誰にも「諦めろ」などとは言わない前向きな、そしてそのあり方がそのまま「競争」のシステムに疑問符を突きつけるような一つの生き方を示すことなのである。

これらの意見を聞いてもやっぱり内田氏と荒井氏の意見の違いがわからへん。

僕は競争というシステムには弊害があると思うし、そこから降りる生き方もありやと思う。
ただ競争を全面否定して、それに乗らない生き方の素晴らしさを力説してる荒井氏を
見ると、遠まわしに「諦めろ」と言うてるように思えるんやけど、違うんやろうか?

競争から降りた人たちをバカ呼ばわり(荒井氏曰く)し、それを残すことを前提としている
内田氏と、競争にしがみついている人を滑稽と言い、それを排除することを前提としている
荒井氏と、どちらにも外部の異質なものに対する親和性は感じられへん。

競争というシステムを全面否定することは、人は一旦そこに組み込まれたら、健全な
競争などできるわけがなく、どんなに汚い手を使ってでも勝利を得ようとする、そういう
本質を持った生き物やと認めることになる。

そして僕にはその考えを否定することはできへん。
さらにその本質が教育ではどうしようもないもので、それが無視できないほど社会を
歪めているとしたら、やっぱり競争というシステムを排除するしかないようにも思える。

と、散々偉そうなこと言うたけど、引きこもりの僕がそれを言うのもなんか妙な感じがする。
僕は人と争うことは苦手で、競争して一番になろうと思わへんし、なれるとも思ってない。
でも、もしそれなりの能力と根性があったら、そういう生き方をしてみたいという気もする。
そしてそれが競争を否定されることに対する違和感を生じさせているのかもしれへん。

おまけにそれは荒井氏の嫌いな「後ろ向き」なもので、内田氏と同じように、荒井氏を
苛立たせてしまう気がして、トラックバックをするかどうか非常に悩んだわけやけども、
せっかく書いたわけやし、取り合えずトラックバックしてみることにする。
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by yama_pika | 2005-05-07 16:11 | よのなか